みなさまの声
こどもたちからの感想②
コメ百俵(きおくみらい館内で募集している皆様からのコメントコーナー)
に寄せられた10歳以上のこどもたちからのコメントをご紹介します。
とても勉強になりました。私は、その時まだ小さく、記おくがないけど、このような場所があると、ここでこのようなことがあったんだ!!と改めて、地しんのこわさが分かりました。逆に、地域や周りの人の優しさなども改めて、実感しました。私が次、このようなことに出会っても、優しくしてくださった人のようにしたいです。私は、小千谷市、すべての地域に恩返しをしたいです。(小千谷市/12歳/女子)
自分の命は、自分でまもる!!(小4/女子/えまさん)
震災に負けるな!!がんばろう日本。長岡市民の団結力に感動しました。長岡最高!(長岡市/10代/女子/OKZさん)
地震はもちろん誰も望んでなんかいない。でも、地震のおかげで気づくことのできた事もあるはず…。(長岡市/10代/女子)
震災当時、5才だった私には何が何だかさっぱりでした。車の一番うしろで紙コップに白ごはんにふりかけをかけて食べたのをよくおぼえています。9年がたちましたが、中越のさらなる繁栄を願っておりますヽ(・_・)(10代/女子)
私は中越地震の時はまだ4才だったのでそんなにおぼえていないけど、その時にそういう事がおきてるんだなってとてもよくわかりました!!また来たい時は母もつれてきたいと思いました!!そうすればこれから地震が来てもがんばれると思ったから、母をつれてきたいなと心の中でちょっと思ってしまいました!!Thank you very much.I love きおくみらい。これからもがんばってください!!(秋葉中1年/女子/Hikariさん)
私は、学校の総合の時間に地震について調べていて「きおくみらい」さんに来ました。モニターやiパッドを見て分かったことをもとに、まとめたり、これからの学習をすすめていきたいと思います。ありがとうございました。I Love 長岡。Thank you.(秋葉中1年/女子/K・Mさん)
私は総合の時間できて、松井さんからいろいろ話をきいたりしました。あとモニターで山古志のことなどをききました。すごくたいへんだったんだなぁと思いました。これからいろんなことを考えて生きていきたいです。Thank you.(秋葉中1年/女子)
私は、総合の授業で見学に来ました!!地震の記憶はあまりありませんでした。でも今日松井さんなどに話を聞いたりして、地震の大きさ、怖さ、命の大切さなどがわかりました。なので家に帰ったら、家族と「地震が来たときのルール」を決めようと思います。今日は見学させていただき本当にありがとうございました。I LOVE 長岡。(秋葉中1年/女子)
すべての人々が幸せでありますように。(10代/女子/ピチピチの19さいさん)
平和でありますように。(10代/女子/らぶ・きーさん)
地震が起きた時私は2才でした。あまり覚えていないけどすごいひがいがあったけれどもたち直った長岡がすごいと思いました!(10代/女子/愛佳さん)
長岡は色々な災害にあっているけれど、毎回立ち直っているところがすごいと思いました。(10代/女子/たえかさん)
トイレが流れなかったのを覚えています。あんな小さかったのに明確に覚えている程、スゴい大きい影響を与えたんだと思いました。(長岡市/10代/女子)
小学生の頃、泣いたのを覚えています。もう2度とこんなことがないように心から願ってます!(10代/女子)
わたしは赤ちゃんだったのでおぼえていません。でも地しんのことをいっぱい学べてよかったです。地しんはこわいなと思いました。(10代/女子)
みんなで協力して助け合おう!がんばろう!(長岡市三島/11才/男子)
私が2さいのとき、じしんを体験しました。父と母と車でかきのたねをたべて。パーキングのかんばんにいーっぱいの人がつかまっていて、いまでもそのこうけいは目に焼き付いています。2才でもおぼえているのでとてもこわかったんだと思っています。そのじしんで亡くなった大人、おじいちゃん、おばあちゃん、小さな子供…もう二度と、こんな死にかたさせないから!!(長岡市/小5/女子/A・Sさん)
初めてきおくみらいに来ました。私はあの時年長で、ちょうど新潟から出た所の高速道路にいました。直接は関わっていないけど、他県でも放送していました。全国の災害の復興をねがっています。(長岡市/旭岡中3年/女子)
私は4才でしたが、この地しんはとてもよく覚えています。いきなりでんきが消え、祖母に抱きかかえられて逃げました。父がシャッターをけやぶって避難所に行き、そこで1、2日すごしました。とてもこわかったです。「きおくみらい」で地しんのつらさ・こわさを改めて知れました。これからも他の人たちにも伝えていって下さい。(長岡市旧三島/10代/女子)
中越地震が発生した時、私は小学校6年生で、新発田市の実家にいました。弾いていたピアノが激しく揺れ、慌ててテレビをつけたのを覚えています。特に記憶に残っているのが、皆川優太君の救出劇。今でもあの映像がはっきりと目に、頭に残っています。
あれから9年。今は大学で防災の研究をしています。そこで感じるのは中越地震の記憶が忘れられてきていること。新潟出身である自分は、中越地震の教訓を後世に伝えるべく、研究をしていこうと思います。(神奈川県/20歳/男性/大学生)
防災グッズの「今」と「昔」展を見てはっとしたのは、「昔」の防災グッズは原始的で種類も少ないけれど、皆持っていたという点です。「昔」は戦争。「今」は自然災害という防災の対象の相違も関係しているかもしれませんが、戦争のない「今」の平和な日本で、自然に対して防災対策をとり続けることは本当に難しいと改めて考えさせられました。
私は神奈川の大学で、誰かの命を守るために防災の研究をしています。様々な場所で様々な人が様々な形で「人の命を守りたい」と活動していることがわかり、もっと頑張ろうと思いました。(神奈川県横浜市/20代/女性/大学生)